沖縄歴史認識懇話会

沖縄のメデイア事情

はじめに

沖縄メデイアとその在り方について取り上げた本土出版社の或る本を最近読む機会がありました。その中で、本土の関係者が米軍基地問題に関する沖縄の地元新聞の「偏向」報道を批判し、「公平」、「両論併記」の記事の掲載を求めているとして、これに強く反発する地元ジャーナリストの声が紹介されている箇所がありました。この反発は、米軍基地の集中という沖縄に対する日本国内の「差別的取り扱い」を無視して国益論を振りかざす本土関係者の主張は受け入れ難いとし、地元ジャーナリストとして沖縄県における「差別実態」について報道することは当然の責務である、といった趣旨のものでした。この本に触発され、沖縄に「言論の自由はない」とする本土出版の他の本にも目を通しました。

私ども沖縄歴史認識懇話会(「沖歴懇」)は、米軍基地問題やその関連での「沖縄差別」に対する沖縄県内外に存在する認識の違いについて論点を整理するとともに、意見の異なる人たちが一堂に会してお互いの主張に耳を傾ける枠組みの設置を政府と沖縄県に訴えてきておりますが、沖縄のメデイア事情に関わる問題については、これを正面から取り上げたことはありません。一方、沖縄の歴史認識形成過程において地元メデイアが果たしてきた役割にも鑑み、諸般の状況をよく考慮に入れた上で、今回沖縄歴史認識問題と特に密接にかかわりを有すると思われる幾つかの論点を取り出して以下のように整理し、「沖歴懇」ホームページ読者のご参考に供します。

 

ジャーナリズムと公権力

報道の自由の重要性については、改めてここで論じる必要もないでしょう。表現の自由は、日本国憲法で保障され、国民が長年にわたって育んできた日本の民主主義の根幹となるものです。例え特定のメデイアの特定の報道ぶりに同意できない場合であっても、報道の自由が最高度に保障されるべきことについては、誰も異論を差し挟まないでしょう。

第二次大戦後これまで長い間、日本のジャーナリズムは、政府に代表される公権力の行使の態様を厳しく見つめ、政府の諸政策に批判的な報道を行うことに躊躇しない姿勢を取ってきています。そのようなこともあって、諸政策への国民の理解を求めようと努力する政府側と、国民の基本的人権と福祉向上等の観点からその意味合いを判断しようとするジャーナリズムとの間には、頻繁にせめぎ合いが生じます。その間にはしばしば大きな緊張関係も生まれます。一方、これは結果として、日本の民主主義の発展に貢献してきたとも言えるでしょう。

 

全国紙と地方紙

 

上述の二つの文献では、沖縄のメデイアのうち主として新聞の報道ぶりが取り上げられています。ちなみに全国紙と地方紙を一般的に比較した場合、地方紙の持つ大きな特色の一つは、県民の日常生活に影響を及ぼす出来事に重点を置いていることでしょう。全国紙が必ずしも関心を示さない問題であっても、地方紙が報道対象とする出来事は多々あります。沖縄県には、二つの大きな地方紙があります。これら二大地方紙は、県内では全国紙や他の地方紙に比し圧倒的なシェアーを持っています。全国紙では、毎日報道すべきテーマが多々あるためか、大きな問題でも起こらない限り、米軍基地問題については余り報道されませんが、沖縄では、米軍基地から派生する問題は、県民、特に基地周辺住民の日常生活に大きな影響を与え得るものであり、しかも安全や環境に関わる様々な問題が頻発していることもあって、それらを巡る問題の報道は必然的に多くなります。また、全国紙では、米軍基地にまつわる問題について、系統的、包括的に報道することは余り多くないと言えますが、沖縄では、沖縄戦や戦後の米軍基地問題にまつわる県民の多くの歴史的体験を踏まえ、米軍基地問題に関する報道は一貫して沖縄歴史的体験の延長線上で行われています。沖縄のメデイア事情を語る際には、先ずこのことを理解しておく必要があります。観光等の目的で短期間沖縄を訪れる県外の人たちの中には、沖縄の二大地方紙を手に取ってみて、沖縄の新聞は米軍基地問題専門紙なのかといった印象を持つ場合もあるようですが、狭い沖縄の地に米軍基地が集中していることもあって、米軍基地絡みの事件・事故は多発しています。従って、もしもこれら二大地方紙が米軍基地問題を取り上げないとしたならば、却って奇妙な印象を与えることになるでしょう。沖縄において米軍基地問題に関する報道が頻繁に行われていること自体は、何の不思議なことではありません。

一般的に言って日本の新聞は、欧米の新聞に比べて「個性が強くない」とか、事実関係の報道が中心であって報道する側の「主張」が必ずしも鮮明でないとか、読者の「意見」に十分な紙面が割かれていないといったような評価がしばしば聞かれますが、実際には、読者確保のため全国紙間の競争は極めて激しく、各紙ともにそれぞれ自らの特徴や特色を生かして報道を続けています。つまり、日本でもメデイアは日本なりの「個性」を持っていると言えるでしょう。

 

沖縄の二大地方紙の特徴、特色

沖縄では、二大地方紙が県内、特に米軍基地が集中する沖縄本島で圧倒的なシェアーを占めています。全国紙や県内の他の地方紙は後塵を拝さざるを得ない状況です。これら二大地方紙間の競争は極めて激しく、米軍基地問題については、両紙ともに基本的に日米両国政府の取る諸措置に批判的な報道ぶりが示すことで共通しています。重大な米軍基地関係の事件や事故が生じるような場合には、両紙の取り上げ方は極めて大きく、日米両国政府の対応ぶり等に対して“容赦なく”批判的な報道を行います。全国紙の場合を例に取れば、号外版で使われるような大きな見出しの記事や写真とともに事件・事故の様子が報道されるといった感じです。こうした報道が連日続くような場合、沖縄県外の人たちは、先ずその報道ぶりに驚いてしまうようです。

ここで全国紙との比較を通じ、沖縄の二大地方紙の特徴、特色等を取り出し、沖縄の歴史問題を巡る県内外の認識の差異との関連について、論点を整理してみましょう。

 

平和に対する高度の理想主義

先ず指摘されるべき沖縄の二大地方紙の大きな特徴の一つは、沖縄戦等の体験を踏まえた平和に対する高度の理想主義を基礎とした報道ぶりということでしょう。沖縄の二大地方紙は、欧米のメデイアに見られる「主張」を鮮明に打ち出すカテゴリーに入る新聞と言えるでしょう。日本の国全体で沖縄の米軍基地問題負担軽減問題を考えていくためには、沖縄県民が長い間にわたって体験してきた様々な歴史的体験を正しく理解することが重要になりますが、これはメデイア関係について論じる場合でも同様であって、本土の人たちは、こうした両紙の特徴をよく頭に入れた上で、その報道ぶりを見ていくことが重要と考えます。

さて、日本を巡る国際環境には相当厳しいものがあり、国際情勢は日本の理想通りにはなかなか動いてくれません。国民は、日本が如何にしてこの厳しい現実を乗り越え自らの安全を確保していくかについて大きな関心を寄せています。全国紙は多様な意見を紹介し様々な角度から流動化する国際情勢を分析しつつ、この問題を追っています。各紙の間には、或いは理想主義或いはリアリズムといったような、それぞれ土台に持つ特徴によって、報道姿勢に違いが見られますが、沖縄県の二大地方紙については、双方とも共通して、流動化する国際情勢の変化に対して、平和に対する理想主義や在沖米軍基地の整理縮小に対する希望といったことを強く意識した報道ぶりを示しているように見受けられます。事態がそうした希望、期待通りに進めば良いのですが、沖縄の日本復帰後の国際情勢の推移を見ても、県民が望むようなものになっておりません。圧倒的なマーケットシェアを占めている二大地方紙としては、国際情勢が流動化すればするほど、読者の関心事に広く応えていくという面で、大きなチャレンジがあるのではないでしょうか?「沖歴懇」としては、“沖縄の新聞は「偏向」している”とか、“沖縄に「言論の自由」はない”と言った議論に参画するものではありませんが、特に国際情勢が激しく変化する現況では、沖縄の言論空間には、これまで以上に多様で、多角的、複眼的な視点が紹介されることが重要になるのではないかと考えます。米軍基地に対する負担軽減は全国的に取り組むべき問題であり、それを着実に進めていくためにも、そうした視点が重要と心得ます。

 

多様な「民意」

私ども「沖歴懇」は、普天間飛行場の返還と辺野古の代替施設建設の問題について、これまでホームページで詳しく取り上げてまいりました。ホームページをご参照頂けるならば、各種選挙、世論調査等々で現れて来る沖県民一般或いは米軍基地周辺住民の「民意」は、実際は多様なものであって、「民意」について何か結論的なことを述べるに当たっては、極めて慎重な対応ぶりが必要であることに気が付かれることでしょう。

さて沖縄県内外の一部関係者は、辺野古への代替施設建設問題を巡って沖縄の二大地方紙が共に「新基地建設反対」の姿勢を強く示していることに「反発」しているようです。一方、もしもこうした関係者が、二大地方紙の「民意」に与える影響を念頭に置いて「反発」しているとするならば、現実がそのように割り切れるものかどうかについては、疑問が出て来ます。

一般的に言って、例えば発電所等の大規模な施設の周辺に住んでいる人たちは、安全・安心の日常生活を確保するために、これらの施設所有者に対して様々な要求を突きつけます。もしも最終的に周辺住民を含め地域の関係者がそうした施設の建設に賛意を表明するに至ったとするならば、それはあくまでも、同施設の意義、経済的効果、安全・安心のための諸措置等々との兼ね合いにおいて、総合的に判断されるものであると考えます。或る意味でそれは受動的な対応であって、積極的な対応ではない場合が多いのではないでしょうか?沖縄の米軍基地問題もこうした問題に共通するところがあって、例えば、普天間飛行場の返還と代替施設の辺野古への建設問題について、宜野湾市民に普天間飛行場の返還の是非だけをストレートに聞けば賛成が多数となるでしょう。名護市民に辺野古地域への代替施設建設の是非だけをストレート聞けば恐らく現時点でも反対が多数になるのではないでしょうか?一方、辺野古区住民に限って意見を聞けば、過去に行われた沖縄の新聞社による聞き取り調査の一つに従えば、賛成の意見が反対を上回るということになります。また、普天間飛行場の返還と辺野古への代替施設建設をセットにして沖縄県民全体の意見を聞けば、恐らく賛否は相当拮抗して来るものと予想されます。このように「民意」については、調査の対象地域、質問内容、調査のタイミング等々によって、相当異なる違いが出て来ることを理解しておく必要があります。従って沖縄の二大地方紙の「主張」と「民意」を同等に扱うことにはしばしば危険が伴います。沖縄で圧倒的シェアーを有する二大地方紙といえども、こうした多様な県民意識を念頭に米軍基地問題について報道していることを本土の人たちも承知しておくべきでしょう。

特に安全保障問題については、政治的には「国益」と「県益」との間の調整が極めて重要になります。この点で政府と沖縄県との関係が現状のままで良いのか、県民が取り残されているようなことはないのか等々よく見守っていく必要があり、メデイアにおいても、正に多角的、複眼的な報道ぶりが必要とされていると思います。

 

終わりに

本土の関係者が沖縄県の歴史について無理解な姿勢を示し、例えば現在の普天間飛行場敷地は、戦時中、野原であったという類の事実に反する発言をしている限り、沖縄県民の心はますます閉ざされていくだけでしょう。本土の人たちが沖縄に対する正しい歴史認識を持つことを通じて、初めて県民の心は開いてくるでしょう。それによって初めて同じ日本人として米軍基地負担軽減問題に当たろうとする機運が生まれて来ると思います。

政治を行う人たちにとっては、如何にして民意を測り、民意を味方につけていくかが今後益々大きな課題となります。その関連でメデイアの持つ役割は益々重要になります。一方今日本では全体として新聞離れが進んでおり、全国紙、地方紙の如何を問わず、読者確保に奔走せざるを得ず、新聞界内部の問題は「コップの中の嵐」に過ぎないのかも知れません。沖縄の米軍基地負担軽減問題については、「沖歴懇」は、SNSを含めたあらゆるメデイアの手法を通じ、沖縄の歴史認識に対する県内外の認識の違いを狭めていく方向で、関係者間のコミュニケーションが深まっていくことを期待する次第です。