沖縄歴史認識懇話会

普天間飛行場の辺野古移設問題

1995年9月の米海兵隊員による少女暴行事件後の同年11月1日、東京において日米安全保障協議会(いわゆるツ- プラス ツ-会合)が開催され、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)の設置が合意されました。同月20日に開催された第1回SACO会合では、米軍基地の整理縮小等について検討すること、その結果を1年以内に日米両国の閣僚レベルに報告することが合意されました。翌96年2月米国のサンタモニカで日米首脳会談が行われ、橋本総理大臣(当時)からクリントン大統領に対し、普天間飛行場の返還に対する沖縄の要望が強いことが伝えられました。そして同年4月橋本総理大臣とモンデール駐日米国大使によって共同記者会見が行われ、沖縄にある米軍基地の中に新たなヘリポートを建設すること等を条件に、普天間飛行場を全面返還することについて日米間で合意したことが発表されました。同年12月2日には普天間飛行場の返還も含まれたSACO最終報告が公表され、これに沿って今日まで米軍基地の整理縮小が進められてきています。

さて、SACO合意の象徴でもあり、世界一危険であるとも言われる普天間飛行場の返還問題については、民主党政権時代に若干の中断があったものの、10数年にわたる紆余曲折を経ながら、辺野古地域に代替施設を建設することで政府と沖縄県間でやり取りが続いてきました。しかし、辺野古新基地建設反対を掲げて2014年に第7代沖縄県知事に就任した翁長雄志氏は、政府が2015年10月より沿岸埋め立ての本格工事に着手した辺野古代替施設建設計画を阻止するとして、司法手続きを含む様々な手段を用いて、政府との対決姿勢を強めています。

今や普天間飛行場の辺野古移設は、沖縄における米軍基地負担軽減を巡る最大の政治的問題となっています。世界で最も危険と言われている普天間飛行場の返還は、代替施設建設が遅れている結果として、既にSACO合意から20年以上がたつにもかかわらず、いまだに実現されていません。これは同飛行場の早期実現を求める宜野湾市民の期待に反するものであり、事態は極めて深刻です。

上述のように、普天間移設問題を巡っては、過去20年以上にわたっていろいろと議論されて来ました。既に多くの評論、学術書、啓蒙書等が出版されております。そうした中で私どもの沖縄歴史認識懇話会(「沖歴懇」)がどのような新たな視点を提供しようとしているのかについて、疑問を持つ方も多いことでしょう。既に何度もご説明していますように、「沖歴懇」は、辺野古への移設問題について、具体的な解決策を提言する活動に従事している訳ではありません。一方「沖歴懇」は、普天間飛行場の代替施設建設のように複雑、機微であり、かつ、極めて対立的な米軍基地負担軽減問題について、制度的、実務的側面と歴史認識的側面を整理し、以って少しでも政府と県の間の意思の疎通に貢献することを目指して努力しています。より具体的には次のような考え方をしております。

沖縄問題、特に現在では普天間移設問題を議論する場合、広い意味で政府の立場に賛成する人も、これに反対する人も、それぞれ「感情移入」の度合いが高く、論点の中核を見失いがちであるように見受けられます。結果として、議論が一方的になったり、すれ違いになったりする傾向にあります。また、政府側は、沖縄側の主張に対し“沈黙”、“無視”、“逃げ腰”といったような対応を示している、と捉えられがちですし、沖縄側は、行政が対応するには極めて困難な“被害者意識”、“被差別意識”、“沖縄歴史認識”といった点を前面に押し出しすぎる、と捉えられがちです。そこで「沖歴懇」は、本土の人たちと沖縄の人たちの間で、すれ違いではなく双方通行的な議論が行われることを期待して、敢えて、普天間移設問題を制度的側面、実務的側面といった言わば無機質な側面と、歴史認識という感情移入しやすい側面の二つに分離し、それぞれできるだけ広い観点から議論の中心課題を整理していきたいと考えます。

普天間問題に関する今回の投稿は相当長文になります。そこで、これから幾つかのテーマに従って分割してホームページに掲載することにします。その目次は以下の通りです。

1.制度的、実務的側面の論点整理
(1) 抑止力
(2) 辺野古移設と物理的負担軽減問題

2.歴史認識の側面の論点整理
(1)“喜び半減”、“重苦しい感じ”
(2)「辺野古新基地阻止」運動と歴史問題

3.民意

4.「沖縄賢人会議」設置の提案

下記のリンクからご覧ください

その1

その2

その3

その4

その5

その6