沖縄歴史認識懇話会

普天間飛行場の辺野古移設問題(その3)

2.歴史認識側面の論点整理

「差別観」は古今東西如何なる国にも存在する憂えるべき人間社会の汚点であり、日本もその例外ではありません。一方、日本国内では、同和やアイヌについての差別問題について承知している人は多いとしても、「沖縄差別観」と言われてすぐにピンとくる人は余り多くいないと思われます。現在の日本では、沖縄問題について知識の乏しい人たちや無関心な人たちはいたとしても、沖縄県民に対して特に差別意識を持つ本土の人たちは余り多くいないのではないでしょうか?本土の人たちの無知や無関心に苛立ちを感じる沖縄の人たちが、「沖縄差別」、特に「“構造的”沖縄差別」という表現を使って沖縄問題に対する本土の人たちの関心を引き付けようとしている面はあるのでしょうか?「沖縄差別」は歴史上の問題でしょうか、或いは、今日的な政治問題でしょうか?後者とした場合、その具体的内容は何でしょうか?本土の人たちにとっては、沖縄の歴史認識に結びついた「沖縄差別観」というテーマをどのように捉えれば良いのか、実に難しいところがあると思います。一方、同じ日本人として未来志向でこうした課題に取り組むべきという考えにどう取り組むべきか、という課題も残ります。

(1)“喜び半減”“重苦しい感じ”

* 普天間飛行場の全面返還が発表された時点での“喜び半減”、“重苦しい感じ”という太田県知事の最初の反応については上述しました。その時以来、辺野古移設を巡って政府においても沖縄県においても対応ぶりに紆余曲折があり、20年以上を経た今では、移設準備を着々と進めようとしている政府と辺野古新基地の建設反対を訴える沖縄県が鋭く対立しています。代替施設建設を条件とする沖縄県内での米軍基地整理縮小計画というものは、最も楽観的に見ても、精々“喜び半減”、“重苦しい感じ”といった受け止められ方であろうことは、今では沖縄県外でも広く理解されるところでしょう。のみならず、沖縄では、長年にわたって本土の人たちや政府は強者が弱者を利用する論理を適用してきている、財政援助、振興策といったアメダマで沖縄のプライドを傷つけようとすることは許せない、安保体制の重要性を唱えながら、沖縄の抱える過重基地負担を全国的に分かち合うことに対する努力が足りない等々といった受け止め方の強いことは、本土でもかなり知られているところでしょう。“今更なにを?”という感じになるかも知れませんが、当時政府はこうした沖縄の“機微”な感情の動きをどこまで認識・把握していたのか、気になるところです。沖縄では“喜び半減”、“重苦しい感じ”と受け止められるのが精々のところであろうと察し、残された狭い余地のところで着地点を見出すという発想は、政府側にはあったのでしょうか?即ち、普天間移設問題について20年以上の年月が経て、ここまで事態がこじれてしまった背景には、政府が「喜び半減」「重苦しい感じ」といった反応に潜んでいる普天間移設の実行可能性とその限界との間にごく狭い余地しか存在しないことを十分理解せず、上から目線で移設プランを進めて行った嫌いはなかったのでしょうか?繰り返しになりますが、1996年以降、政府は、沖縄の歴史に対してもう少し理解を深め、代替施設建設によって「喜び半減」、「重苦しい感じ」という県民感情が残るという状況に応じた適切な対応ぶりを示していたとするならば、もう少し違った道が見つかっていたのではないでしょうか?政府としては、「喜び半減」「重苦しい感じ」という県民感情で収まるところまで、事態を戻していく努力を今でもすべきではないのでしょうか?

* 一方、本土の人たちの間には、沖縄の中にはいかがなものかと思われるような動きも垣間見られ、政府に対してのみ批判することはできないという捉え方があります。政府側が日本の安全保障上の必要性という「国益」を強調しすぎるのは問題としつつも、沖縄県側が新たな基地負担増大の拒絶という「県益」を強調し、歴史カードを切りすぎるのは問題ではないかとする捉え方です。この延長線上には、政府と沖縄県の対立が続く限り、いつまでたっても宜野湾市民は置き去りにされたままにならないのか、政府と沖縄県双方とも果たしてどれほど急いで普天間飛行場の全面返還の実現を望んでいるのか、今のような膠着状態が続くことによって実は双方とも利益を得ている部分があるのではないのか等々多くの疑問が連なっています。正直のところ、「沖歴懇」としては、政府及び沖縄側の双方ともに、“硬直性”をもう少し緩めることはできないのか、“三方一両損”で以って事態の進展を図ることはできないのか、という気持になります。