沖縄歴史認識懇話会

普天間飛行場の辺野古移設問題(その2)

(2)辺野古移設と物理的基地負担軽減問題

*「沖歴懇」は、普天間飛行場の返還と辺野古地域への代替施設建設問題について、物理的側面と歴史認識的側面の二つに分け、それぞれ全県的視野から議論の論点を整理することが重要と考えています。本来この二つの側面を切り離して議論することには無理があるとは思いますが、辺野古移設問題を巡って鋭く対立する政府と沖縄県の間で建設的な対話が行われにくい現在の状況を打破するため、敢えてこの二つを分けて、冷静に議論してみることは有用と考えております。

*上述したように1996年の橋本・モンデール会談で代替施設の建設を条件とする普天間飛行場の返還についての日米合意が発表されました。この合意について事前に橋本総理大臣から直接電話連絡を受け取った太田昌秀沖縄県知事(当時)は、後に著書「沖縄、基地なき島への道標」において、「私は嬉しく思う反面、県内への代替施設が必要と聞いて、喜びが半減せざるを得なかった」、橋本・モンデール緊急記者会見の模様をテレビで見て「何となく重苦しい感じがしてならなかった」と述べています。普天間飛行場の全面返還という思いもかけなかった報に接した時点の同知事が感じた“喜び半減“、”重苦しい感じ“は、普天間飛行場の返還に対する歓迎と代替施設建設による移設地域の基地負担増の懸念を率直に表した気持ちと考えます(もっとも同知事は、その後1998年には当時政府が検討していた辺野古沖海上基地建設案を拒否するようになりました)。一方、今の沖縄では、普天間飛行場全面返還への喜びという気持ちはほとんど聞かれません。本土の人たちにとって、沖縄では辺野古地域への代替施設建設について根強い反対があることは分かるとしても、普天間返還歓迎の方がどこに行ってしまったのかは、理解できないところでしょう。当初の”喜び半減“、”重苦しい感じ“という声が、どのような経過で、”あくまで辺野古移設反対“になってしまったのか、県内への代替施設建設に対する反対が強い主張であったとしても、”喜び半減“という当時の沖縄の有力な受け取り方を踏まえ、何故政府と妥協する道を進むことができないのか、また”重苦しい感じ“という受け取り方を踏まえ、何故政府に対して新たに生まれる基地負担を出来る限り軽減していく措置を求めていかないのか等々、理解できないところが多いと推測します。「沖歴懇」としては、もう一度SACO合意の原点に立ち返って議論を整理してみることが重要と考えますが、読者の皆様のご意見はいかがでしょうか?

*過去20年にわたり、普天間飛行場の辺野古移設以外の選択肢について 様々な意見が表明されてきました。新たな代替施設建設候補地についてメデイアが取り上げるたびに、沖縄県内の期待感は高まるものの、結局厳しい現実の前に、大きな失望に陥るといった状況が繰り返されてきたように思われます。普天間飛行場周辺住民は、長期間にわたり重い基地負担から逃れられないことに加えて、悲観、楽観の繰り返しによって極めてきつい精神状況に置かれていることと推察します。紆余曲折は経たものの、辺野古周辺地域に代替施設を建設することによって普天間飛行場の返還を実現しようとする政府の姿勢は、民主党政権時代の一時期を別にして、一貫したものです。政府の辺野古移設計画は、それを支持する人にとっても、反対する人にとっても、少なくとも、即物的、数理的、物理的といった尺度でもって基地負担の度合いを全県的観点から今一度考えてみる場合には、有用な議論のための材料を提供していると思われますが、読者の皆様のご意見はいかがでしょうか?

*政府は、“辺野古移設が唯一の選択肢”であることを強調しています。この「唯一」というのは、実際問題として他の選択肢を取ることが出来ないという意味と解釈すべきでしょう。“理論的”には今でも県外に代替施設建設の候補地はあり得るでしょう。また、過去には政府部内で非公式にいろいろと選択肢を模索した時期もあったようです。しかし日本国内で沖縄県外のどこの地域も普天間飛行場代替施設の受け入れ姿勢を示したところはなく、結局過去20年の間には条件付き受け入れも止むを得ないとの姿勢を示した経緯もある沖縄県に対し、辺野古地域住民の理解を得て、そこに代替施設を建設することを要請せざるを得ないというのが、日本の置かれた政治的現実ではないのでしょうか?

*なお、政府に反対する立場から、辺野古に代替施設を建設するのは「軍事 的」必要性からではなく、「政治的」便宜性によるものに過ぎないといった意見があります。これは軍事的には辺野古である必要性はないが、政府が政治的観点から決めたことに過ぎないという見解です。本来軍事的考慮と政治的考慮は一体として捉えられるべきであり、それを敢えて分離する捉え方には合理性が乏しいでしょう。米海兵隊の日本駐留の必要性を前提とする限り、普天間飛行場の全面返還のためには、軍事的にも政治的にも、当面辺野古移設しか現実的な選択肢はない、というのが実態ではないでしょうか?今政府や沖縄県が議論すべきは、辺野古移設計画が沖縄県全体に取って基地負担軽減につながるのか、或は却って基地負担増大につながるのか、」ということではないでしょうか?

*あくまで「物理的側面」から見た基地負担軽減問題についてですが、普天間飛行場周辺の地域の住民数、住民の安全・安心度、普天間飛行場が返還された場合の経済的発展性等々から見て、普天間飛行場の全面返還によって、同飛行場周辺住民の負担が大幅に減少し、しかも返還された土地の再利用によって経済的に大きく裨益することは、何人も否定出来ないところでしょう。一方、移設先の辺野古地域について見れば、基地関連対策費等から周辺住民が得る当面の経済的な利益は大きくなるでしょうが、住民の安全・安心の面では負担は現在よりも確実に増えると言えるでしょう。こうした相関関係がある中で、普天間飛行場周辺と辺野古周辺地域の基地負担度について関連経済指標を使ってシミュレーションを行い、普天間飛行場返還による基地負担度軽減と辺野古移設による周辺住民の基地負担度の増大とを比較してみてはどうでしょうか?勿論、物理的側面に限って検討をしてみても、こうした単純計算だけで基地負担度を測ることに対して、辺野古移設反対の関係者から大きな理解は得られないかも知れません。従って、辺野古周辺住民の負担増、特に環境面に対して、政府が長期にわたりどこまで面倒を見る用意があるか、米軍関係者による事件・事故の発生率を如何に低く抑えることが出来るかどうか、代替施設周辺を如何にして「基地城下町」(注)にしないような施策を取ることが出来るか等々について、政府の方から青写真を示し、こうしたシミュレーションをすることに対する周辺住民の理解を事前に得る必要があるでしょう。

(注)名護市の中心部は東シナ海に面した人口も多いところですが、辺野古地域は太平洋に面した人口の少ない地域です。代替施設が辺野古地域に建設されたとしても、米軍関係者による事件・事故の発生を極力抑え、住民の福祉を守るため、将来「基地城下町」が出現しないような手立てを政府は前以て示していく必要があると考えます。単純化すれば、普天間飛行場を人口過密地域から過疎地域に移設する訳で、政府は単に交付金等の財政的支援措置を講じるだけでは済ますことは出来ないと考えます。読者の皆様はいかがお考えでしょうか?

*また、辺野古移設に関連して将来大きな問題となるのは、ポストSACOについての政府の考え方でしょう。普天間飛行場が返還されたと仮定して、その後の沖縄における米軍プレゼンスの規模をどのようにしていくか、即ち、日本の安全保障体制の在り方、自衛隊の役割、日本全体における駐留米軍の規模等々との関連における在沖米軍駐留規模の将来図について、政府は総合的に検討することが必要でしょう。これは辺野古地域の米軍のプレゼンス見通しにも関連する重要な課題です。

*一方、普天間飛行場に代替し得るような「巨大」施設を移設・建設することは、沖縄に新たに大規模米軍基地の建設を許すことに等しく、決してこれを認めることはできないとする政治運動が沖縄県内で活発化しています。例えば稲嶺進名護市長は、「市民の命と暮らし、県民の誇りと尊厳守るために新基地は作らせない。名護の未来は私たちが決める」と述べています。これは、物理的側面だけで基地負担軽減を捉えることは出来ないとする見解でしょう。沖縄戦以降の沖縄の歴史を翻ると、多くの本土の人たちもこうした気持ちには理解できるところが多いと推察します。しかし辺野古移設反対運動の結果、普天間飛行場の返還が実現できていない状況が長く続くことを、全県的観点からどのように捉えるべきでしょうか?政府関係者がこのような問いを発すると、反対運動の人たちによって、「恫喝」と捉えられてしまうおそれがあるようですが、「沖歴懇」のような本土の小さな民間団体から見ても、普天間飛行場周辺住民の長年の願いを全県的な観点から捉えることの重要性は理解し得るところです。“辺野古移設が実現しないのであれば、普天間飛行場はこのまま使用するまでのこと”と鼻であしらうような関係者の発言を聞くと、苛立ちを覚える人は多いと思います。最近の普天間第二小学校校庭への米軍ヘリ窓落下事故を見ても、普天間飛行場の早期返還は極めて重要なことです。反対派人たちにとって、普天間飛行場の辺野古移設による基地負担度の数理的増減について全県的な観点から試算してみるという考えを受け入れることは、全く不可能なことでしょうか?辺野古周辺住民に新たに生じる基地負担は、バランスのとれた常識的な範囲内に抑えることがまだまだ可能ではないかと思われるのですが、読者の皆様のご意見はいかがでしょうか?なお、辺野古移設問題の歴史認識的側面は、「沖縄差別」論にも強く結び付けられた極めて難しい問題であり、以下に論点を整理したいと考えます。