沖縄歴史認識懇話会

沖縄差別(その1)

最近沖縄の米軍基地問題を巡って、県内では「沖縄県民は本土から差別されている」という声がしばしば上がります。

2013年1月27日、沖縄県41市町村の「オスプレイ配備撤回と辺野古県内移設断念の建白書」を携えて上京した翁長雄志那覇市長(当時)を含む代表者たちが日比谷でデモを行った際、聞くに堪えない沖縄へのヘイトスピーチの標的にされたことがあるなど、確かに沖縄差別的と取られかねない言動がこれまで本土では幾つか見られてきたことは事実です。

読者の皆様もご記憶と思いますが、2016年7月、沖縄本島の米軍北部訓練場(面積約7,500ha)の過半(約4,000ha)の返還に伴う残余の部分へのヘリコプター着陸帯移設に関連し、東村高江地区における米海兵隊用ヘリパッド建設が再開され、周辺住民たちによる建設反対運動が激しくなっていきました。工事現場周辺を警護する警察側との間でしばしば衝突が繰り返されるようになりました。こうした中、同年10月18日、フェンス越しに向かいあっていたデモ参加者に対し、沖縄県外から応援出張してきていた或る機動隊員が「フェンスから身を放せ」と言いつつ、「土人」と叫んだ事件が起こりました。

この事件を巡って県内外のメデイアで沖縄県民に対する差別意識に対する様々な見解が報じられました。この機動隊員の発言はまことに不適切なものでした。一方、沖縄県内では、この発言こそ差別意識の証左といったような「直線的」な議論が広く行われたというよりも、むしろ、沖縄県民の置かれた立場や沖縄の歴史に対する本土の人たちの無理解、無関心が沖縄差別の重要な要因となっている、「土人」発言を一過性の問題と捉えてはならない、といった趣旨の論点が目立っていたように思われます。

2016年10月20日付琉球新報紙は、上記の「土人」発言について社説を掲載し、沖縄差別は歴史的な問題であり、琉球処分や、大戦時に沖縄を本土防衛の防波堤にしたこと、戦後は米軍基地を集中させたことなどに表れているとして、構造的差別の責任は政府にあるといった趣旨を論じました。

翁長雄志沖縄県知事は、この「構造的差別」の問題を最近頻繁に口にします。日本は民主主義国家、法治国家であると言っているが、米軍基地が集中している沖縄の現状をどう見ているのか、日本国憲法で保障されている基本的人権は沖縄県には適用されていないのではないか、といった趣旨の発言です。

2017年11月13日沖縄を訪問したウイリアム・ハガテイ駐日米国大使は翁長雄志県知事と初会談を行いました。翌14日付地元紙は、翁長知事が同大使に対し、普天間飛行場の辺野古移設は民意を無視した「差別」であると発言した旨を報じました。また、11月20日には、米兵による飲酒死亡事故に関し謝罪に訪れたニコルソン在沖縄米四軍調整官に対し、翁長知事は「世界の民主主義と人権を守るのが日米安保だが、沖縄にとって民主主義とは何なのか」と述べたと地元紙では報じられました。

翁長知事が駐日米国大使や在沖縄米軍の責任者に対し直接このような発言をしたこともあり、沖縄県内では今後とも「構造的差別」を批判する声が高まっていくものと予想されます。

さて、本土の人たちは、「構造的差別」の意味をよく理解できないのではないでしょうか?「構造的差別」について断定的な議論が繰り返されるとした場合、本土の人たちは却って沖縄の抱える諸問題から益々距離を置くようになる、つまり“沖縄の議論には付いて行けない”といった気持ちに陥る恐れがあるのではないでしょうか?

「沖歴懇」としては、議論の混乱を回避するため、「沖縄差別」の問題を制度的な側面と歴史的、或いは、県民意識の側面の二つに分け、論点の整理をすることを提案します。そこで「沖縄差別」に関連して沖縄県内で取り上げられる代表的な事例として、琉球処分、沖縄戦、サンフランシスコ平和条約、日米安保体制、地位協定、普天間飛行場の辺野古移設という六項目を取り上げ、今後何回かに分けて、概略的に制度的側面と意識の側面の整理をしつつ、読者の皆様のご意見をお聞きしたいと思います。

なお、「沖歴懇」としては、この「沖縄差別」という表題の下で読者の皆様と行うやり取りは、沖縄の歴史認識問題への言わば導入部分であると捉えており、今後読者の皆様とともに、更に沖縄の米軍基地の認識問題について議論を深め、発展させていくことにしたいと考えております。

今回のホームページでは、「琉球処分」と沖縄戦の二つの事例を下記のように整理して、皆様に問題提起をさせていただきます。

(1)明治12年の沖縄県設置による「琉球処分」とその後着々と進められた「日本化」が「沖縄差別」の根本にあるという認識について。

* 「琉球処分」については、徳川幕府時代の1609年薩摩藩が当時の琉球王国を「支配下」においたことを第1次「琉球処分」、1879年(明治12年)に明治政府が琉球王国を廃し、沖縄県を置県したことを第2次「琉球処分」と称する場合がありますが、通常は後者を以って「琉球処分」と表現しているようです。この琉球処分以降、沖縄県は、戦前の政府による「日本化」、「皇民化」政策の下で、琉球文化が抑圧され、急速に日本との一体化が進められるとともに、ウチナーンチュ(沖縄県民)はヤマトウンチュ(本土の人たち)から蔑視され、様々な差別を受けてきたという認識が、今でも沖縄県内に存在しています。確かに戦前の沖縄県の歴史に目を通すならば、我が国において沖縄差別意識が存在していたことは認めざるを得ないでしょう。

* さて、ここでの「沖歴懇」としての問題提起は、「琉球処分」が歴史上の記憶と捉えるべきものなのか、或いは、今日的課題として今なお取り組みが求められているものなのか、ということです。

* この問題に対する捉え方は、「琉球処分」以来、沖縄戦、戦後の米軍の直接統治、サンフランシスコ平和条約に基づく米国による沖縄施政権、沖縄の日本復帰後も続く巨大な米軍基地等々といった体験を通じて、沖縄が途切れることなく本土から差別されてきたという意識を県民が実際にどれ程強く持ち続けているかによって、違いの差が出て来ると考えます。確かに、沖縄戦以降の米軍基地問題を研究するに当たっては、連続性の観点が重要となりましょう。しかし、「琉球処分」にまでさかのぼって現在の「構造的沖縄差別」問題に関連付けることは、歴史的検証に耐え得るものなのでしょうか?また、沖縄県では県民の被差別意識についての調査も実施されてはいないようであり、多くの本土の人たちは「沖縄差別」を「琉球処分」にまでさかのぼる議論には付いていけない気持ちを持っているのではないでしょうか?

(注1)稲嶺恵一氏は、沖縄県知事当時、米軍関係者による事件・事故に関し、個々の事件・事故は「点」として捉えられるとしても、沖縄県民はその背後に同種の事件・事故が長く続いた歴史を「線」として体験しているとして、しばしば「点と線」という比喩をもって、日米の関係者に沖縄、県民の体験に対する理解を喚起していました。「点と線」という比喩を「沖縄差別」問題についても当てはめてみるとするならば、差し詰め「沖縄差別」は「琉球処分」までさかのぼって「線」として捉えることが果たして妥当であるかどうか、という議論になるかと考えます。

(注2)沖縄県内には、「琉球処分」を土台に「琉球独立論」を唱える意見があります。また、「独立論」とまでは行かなくとも、沖縄の「自己決定権」の確立という主張があります。一方、こうした主張は、沖縄における思想的潮流の一つであるとはしても、政治を動かす力とはなっていないとみられます。「沖歴懇」としては、独立論や自己決定権の問題は、「沖縄差別」と直接的に結びつけて議論するまでに機は熟していないとの前提で、話を進めて参ります。

(2)沖縄戦で旧軍から犠牲を強いられたことに対する県民意識について

* 沖縄戦では、日本側戦死者・行方不明者約20万人のうち県民が約半数を占めていたと言われます。住民の集団自決、未成年者の戦線への直接動員、南部戦線で広く見られた住民に対する犠牲の強制等々、悲惨な体験は今でも多くの県民の心に刻み込まれています。これは、最近(2000年)でも「集団自決」に関する教科書記述を巡って、沖縄県民側が強い感情的な反発を示したことなどに表れています。一方、沖縄戦に際し、沖縄県内の多くの指導者たちが進んで旧軍に協力した側面については、余り語られていないようです。また、戦時中には、旧満州といった国外、広島、長崎、東京といった国内の人たちも多大な犠牲を強いられた経緯があります。関係者にとって、それらと沖縄戦の間では如何なる違いがあったかなどについて、我が国の中で議論される機会はあまりないようです。

* 米軍基地問題に関連して県内では沖縄戦のことがしばしば話題に上ります。何故でしょうか?沖縄戦の体験者を中心に、多くの県民のもう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという強い気持が、その背景にあることは否定できません。また、本土の人たちが沖縄の歴史をよく知らずに米軍基地問題について「気軽」に、或いは、「無責任」に論じる場合があることへの苛立ちが沖縄県民の間にあることも一因のようです。例えば、現在の米国海兵隊普天間飛行場のケースのように、沖縄の米軍基地には、かつて県民が米軍収容所に収容されていた間に無断で接収された個人所有地が多くあります。本土の人たちが、そうした経緯を知らずに“職を求めて基地周辺に多くの県民が移り住んできたのであろう。普天間飛行場の危険性についても、県民側に責任の一端がある”といった趣旨の発言をするような場合には、翁長県知事はじめ県内関係者から大きな反発の声が上がります。確かにこれは、本土の人たちの沖縄歴史の不勉強、事実認識の不足を表すものであり、沖縄県の人たちに責められても仕方がないと思います。

* 沖縄戦は第二次世界大戦中唯一我が国本土で行われた地上戦であり、沖縄県民の受けた悲惨な体験は我が国国民としては忘れてはならないものです。一方、米軍基地絡みの問題が生じるたびに、すぐに沖縄戦のことを思い浮かべ、「本土に見捨てられた」、「沖縄の歴史に対する理解が余りにも足りない」、「本土の沖縄差別感はいまだに強い等といった主張が行われるとした場合には、多くの本土の人たちは首をかしげることでしょう。「沖縄差別」意識が「沖縄戦」に対する記憶とどれ程深い相互関連性を持っているのかについては、よく研究する必要があるでしょう。その結びつきの強弱によって、「沖縄戦」が今日的問題であるか否かの議論は左右されることでしょう。これはかなり微妙な問題であり、また、安易に結論を出せる問題でもないでしょう。「沖歴懇」としては、少なくとも専門家によって検証して貰うことが重要と考えますが、読者の皆様はどのようにお考えでしょうか?

(「沖歴懇」の提案)

上記に述べた「琉球処分」や沖縄戦に対する記憶が長い間沖縄県民の間に政府に対する「わだかまり」という形で表れており、これが現在の大きな政治問題となっている普天間飛行場の辺野古への移設にも大きな影を落としているということであるならば、その「わだかまり」について沖縄県内外の人たちが議論することが必要であると考えます。辺野古移設問題を含め沖縄の米軍基地問題を巡るセミナー、シンポジウム、勉強会・研究会等は沖縄県内外でしばしば開催されていますが、同じ立場にいる人たちが参加して、自らの主張を一方的に繰り返すといったケースが通常であり、立場の異なる人たちが一堂に会して両者間で直接的、建設的な意見交換を行う例は余りないようです。辺野古移設関連工事の遂行と反対運動の継続という現在の状況の先に何が待ち受けているか不明です。事態は決して楽観できません。「沖歴懇」としては、政府と沖縄県が、今のうちに、この「わだかまり」問題について議論する公的な場枠組みを設け、「琉球処分」問題を含め有識者に問題点を整理して貰うことが、複雑に絡まった糸を少しでもほぐす所以であると訴えている次第です。

*「沖歴懇」の提起する「沖縄差別」についてのホームページ上の議論はまだ始まったばかりですが、先ずは今回の「琉球処分」と沖縄戦の今日的意味というテーマについて、読者の皆様からご意見をお聞かせいただければ幸いです。

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