沖縄歴史認識懇話会

沖縄差別

2017年8月12日、「辺野古新基地の阻止」、「オスプレイ撤去」等を要求する沖縄県民大会(辺野古新基地を作らせないオール沖縄会議主催)が開催され、主催者側発表で45,000人が参加したと沖縄県のメデイアは報じました。挨拶に立った翁長県知事は、普天間基地のオスプレイがオーストラリア沖で墜落した事故や政府が進める辺野古移設のための諸工事に関連し、「日本の独立は神話だ。」「強硬に新基地建設を推し進める(政府の)姿勢は法治国家という言葉に程遠い。」「今後も県民に対するいかなる差別的、犠牲的な扱い、基地負担の押し付けに反対し、オスプレイの配備撤回、辺野古新基地建設反対、普天間飛行場の閉鎖・撤去に取り組んでいく不退転の決意を約束する。子や孫のため先祖の思いを胸に刻み、命の限り頑張ろう。」と言った趣旨の発言をしました。翁長知事は、その後も米軍航空機事故等に関連して、同趣旨の発言を繰り返しています。

翁長県知事自ら先頭に立ち、オール沖縄運動に参加する人たちが、「沖縄は差別されている」、「日本の独立は神話だ」、「日本は法治国家ではない」、「日本は地方自治権も守れない非民主主義国家である」、「もう地位協定の全面的改定しかない」「米海兵隊の撤兵しかない」と上げる声は、沖縄県外の人たちの頭の中にはなかなか入り難く、理解が難しいところとなっています。

「沖歴懇」としては、先ずは「沖縄差別」意識を取り上げ、この問題を巡る沖縄県内外の受け取り方について整理をしてみたいと考えます。

なお、「沖縄差別」とは、本土の人たちが沖縄県民(注)を差別するという意識よりも、沖縄県民が本土の人たちから差別されている意識という意味で使われ、それは長い沖縄の歴史認識を背景にしていると言われています。

その歴史的経緯について代表的な事例を上げてごく簡単に説明しますと、明治政府による琉球王国の廃止と沖縄県の設置(琉球処分)以降の「日本化」、「皇民化」、沖縄戦における住民の犠牲、戦時中から始まり戦後も続けられた強権的な米軍基地の建設と拡大、サンフランシスコ平和条約による日本の独立と米政府の施政権下置かれた沖縄、日米安保条約と地位協定の締結、米ソ冷戦下で進められた本土における米軍基地の整理縮小と沖縄における米軍基地の強化、米軍基地がらみの事件・事故の多発による住民被害、20年以上にわたる普天間飛行場の返還と辺野古地域への代替施設建設問題のこじれ等々によって、沖縄県民は米軍基地絡みの問題が生じるたびに、これまでの歴史的体験を想起し、沖縄は本土から差別され続けているという意識を強くしていると言われています。

(注)沖縄県内では、しばしば“沖縄県外の人たち”は、“本土の人たち”、 “ヤマトウンチュ”、沖縄県民はウチナーンチュと呼ばれます。

例えば、2017年10月20日付沖縄タイムズ紙に掲載された囲み記事の中で、平安名純代米国特約記者は、「日本本土が基地の影響が少ない暮らしを享受する傍らで、基地が集中する沖縄が犠牲を強いられ続けているのも、沖縄に対する差別が根底にある」と書いています。

2017年10月11日に沖縄県東村高江地区で生じた米海兵隊普天間所属CH53E型ヘリコプターの民有地不時着・炎上の問題一つを取ってみても、沖縄県内で米軍基地絡みの事件・事故が多発していることは事実であり、政府に対し適切な対応を求める点については、沖縄県内外で意見の差はないと考えます。事件・事故に対する適切な対応や再発防止策の徹底は政府の責任に帰せられるべきものですが、一方、我が国の防衛協力の相手である米国の起こす事件・事故に対して日本政府がどこまで有効な措置を講じ得るかについては、議論すべき諸点が多く存在します。

「沖歴懇」は、政府が取るべきこうした具体的な措置の有効性等について議論することを、その活動目的にはしてはおりませんが、それと並んで重要と考える「沖縄差別」に象徴される歴史認識問題と米軍基地問題との絡みについて、県内外で広く議論することを訴えています。つまり、米軍基地周辺住民の負担軽減という日本全体にとって重要な政治的課題について、政府の直接的責任である「物理的」負担軽減措置に対して、いわば「心理的」負担軽減の議論を県内外で議論すべきであると訴えているものです。

重要な米軍基地問題について、残念ながら、現在政府と沖縄県の間では、生産的な「対話」が行われていません。「沖歴懇」は、政府と沖縄県がそれぞれ選ぶ有識者によって沖縄の歴史認識問題を議論する「沖縄賢人会議」(仮称)の設立を提案しています。同会議における率直な議論を通じ、「心理的」負担軽減問題について県内外の人たちの間の理解が進み、それが「物理的」負担軽減についての政府・沖縄県「対話」に良い影響を与えていくと訴えています。

 

下記からご覧ください

その1

その2

その3