沖縄歴史認識懇話会

沖縄在位会社経営の方より、ご意見いただきました。

著者:okirekikon

沖縄在位会社経営の方より、ご意見いただきました。

2017.04.22
沖縄在住会社経営者の方よりご意見いただきました。
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1.「琉球処分」と「自己決定権」
*沖縄県内では「沖縄の自己決定権」確立の動きが見られます。これについては「沖縄差別」意識に基づく「分離、独立」ではなく、地方自治拡大・高度化を求める「沖縄のアイデンテイテイ―」確立の動きであると捉えるべきであるという意見がありますが、皆様はどう思いますか?

→私自身は差別されているという感覚がありませんから、論評が困難です。この手の問題は、その人の感性、価値観と密接に絡みますから、人によって異なると言わざるを得ないと思います。最近は基地の過重負担は、「沖縄に対する差別と断ずる」知事が現れて政治的に利用する人もいるくらいです。琉球処分が沖縄差別の源泉であるかは、歴史家の判断に待ちたいと思います。

2.沖縄戦の今日的意義
*今年も1945年3月28日に渡嘉敷で起きた集団自決慰霊祭が同村主催で行われました。この事件をはじめ沖縄戦では多くの住民が悲惨な体験を余儀なくされましたが、第2次世界大戦末期日本では沖縄県外でも多くの住民が命を落としましたことも事実です。日本国民にとって沖縄戦の今日的意味はどこにあると考えますか?

→沖縄戦は多くの国民を巻き添えにした戦闘であり、住民は軍を頼りに軍とともに南下しました。一方軍にとっては作戦区域に住民が同居することは戦闘上の障害であったろうと思います。住民にとっては、この軍の考えは意外であり、失望であり、裏切りと見えたことでしょう。無敵皇軍を喧伝していた軍としては、日本軍が劣勢であることを事実として認めながらも、住民には「神風が吹いて反撃に転ずる」と思わせたかったことであろうと推測します。このことから導かれる教訓は、当然のことですが、戦闘地域に近づかないよう住民を教育することだと思います。

*翁長雄志沖縄県知事は、在沖縄米軍基地問題に取り組むに当たっては、「沖縄県民の魂の飢餓感」を理解する必要があると政府関係者に訴えています。沖縄県外の人達はこれをどのように捉えるべきでしょうか?

→知事の「魂の飢餓感」とは証明が困難なワードです。いったい何を意味するか、丁寧に説明が必要です。県民が一枚岩で、単細胞であることを前提にした発言であると思わざるを得ません。ですから、政治家翁長さんのプロパガンダではないかと思います。

*沖縄戦=悲劇という直線的イメージだけで沖縄県外の人達が沖縄の米軍基地問題に関心を持ち続けることは可能と考えますか?

→「沖縄戦悲劇」戦後72年を過ぎました。戦争を記憶している人はまだいるとしても何時までも沖縄戦後という言葉が説得力を持つとは思いません。「もはや戦後はとっくに終わった」というべきだと思います。

3.サンフランシスコ平和条約と日米安保条約
*サンフランシスコ平和条約と日米安保条約の締結は、戦後の日本の独立とその後の発展の重要な一歩となりました。同時に沖縄には米国の直接統治という厳しい状況をもたらすものでした。当時日本が独立を達成するために取り得る現実的な安全保障政策は極めて限られていたことを思い起こす時、今日日本国民は、同平和条約発効の1952年4月28日をどのように捉えるべきでしょうか?

→サンフランシスコ平和条約は敗戦国が独立のために甘受しなければならない道だと思います。このことで、国際社会に復帰する第一歩を踏み出すことが出しました。一方で大きな4島(本州他)と付属諸島に領土が縮小したことも事実です。明治後拡大を続けた帝国が、元に戻っただけではないでしょうか。千島は失いましたが、北海道までは守れたことに意義があると思います。沖縄については、潜在主権という形で交渉の余地を残し、沖縄に住む住民が本土に行くと日本国民として扱われるという選択をしています。これ以外に敗戦日本が取れる道があったでしょうか。

*沖縄県内ではまだ多くの人たちが4月28日を「屈辱の日」と捉えています。将来節目の年の4月28日に政府主催「独立記念祭」が行われるような場合、この二つの認識が今後とも長く併存したままであることは日本国民にとって不幸なことです。どうすればこうした状況を克服することができると考えますか?

→ 4月28日を「屈辱の日」ととらえるかは人によります。領土を失ったことが屈辱なのか?米軍支配されたことが屈辱なのか?はたまた政府の対米弱腰が屈辱なのか?どちらでしょうか。このような主張をする人は、何らかの政治的な意図をもっての発言ではないかと感じます。

*平和を希求することは日本の国是であり、全国民の強い願いです。同時に政府として厳しい国際情勢を考慮に入れない
安全保障政策を取ることは、実際問題として出来ないことでしょう。理想と現実の間に大きな差異がある中で、サンフランシコ平和条約と日米安保条約締結の歴史的意味を改めてよく考えるとともに、より良い将来の安全保障政策を探求していくという未来志向の姿勢を持つことは可能と考えますか?

→「安保条約の意義」。歴史は時間の経過で判断することができます。60年安保、70年安保の反対運動をしていた学生や知識人に問いたいと思います。「あの運動は正しかったですか」と?戦後の冷戦という国際関係の中では、経済的な大国に列した日本がとるべき道が他にあったでしょうか?日本は正しい賢明な選択をしたといえるのではないでしょうか。ただ、過剰適応してしまい、安全保障を過度に他者(米国)に依存する姿勢は、そろそろ卒業するべきではないかと思います。中国の台頭は歴然で、この力を信奉する未知の帝国とどう折り合いをつけるか、米国の尻尾にくっ付いていくのが正しいことでしょうか。いつの日か、米国に邪険にされた場合、どうすべきかを考えて国民を誘導することが肝要ではないかと思います。

*地位協定は米軍基地周辺住民の生活に大きな影響を与えるものです。他方、憲法上の制約を抱える日本が地位協定だけ取り出して「対等な関係」を米国に求めるということは可能と考えますか?
4.地位協定
*地位協定については、米軍基地が集中する沖縄では「全面改訂」という強い要求が行われていますが、沖縄県外の米軍基地所在地から同様の声は余り聞こえてきません。具体的な問題に即して米軍基地負担軽減措置を政府に要求していくことの方が、地位協定の全面改訂を求めるよりも実際的な効果が上がる、という考えについてどのように思いますか?

→地位協定改定の要望が県サイドから執拗に提起されています。事件事故など県民の生活に被害を齎す事象は、感情的な反感を生むことから、政治の場では、改定を強く要望するというポーズも止むを得ないことかと思います。ただ、アメリカの法制度との整合性もあり、日本だけの都合で改定ができないということも言われています。これは、結局努力しますというだけで、時間を稼ぐのも政治的な発言として止をえないことではないでしょうか。ただ、環境問題など新たに生じた事項については、地協定への加筆が望ましいと思います。

5.米軍基地関連事件・事故
*沖縄県外には、米軍関係者と沖縄県民の犯罪発生率を比較し、沖縄の日本復帰以降米軍関係者の犯罪率は県民犯罪率に比べてはるかに低くなっているという見方があり、沖縄県内ではこれに反発する声が強いですが、こうした認識の違いをどのように捉えるべきでしょうか?

→「再発防止策」。残念ですが人間の行動は予見が困難です。アリバイ工作に見えることは、永遠になくなりそうにありません。

*政府の再発防止策ついては、実効性に乏しい、アリバイ工作に過ぎないといったような評価が沖縄県内では見られがちですが、これは実態に合っていると思いますか?

→ 「事件事故の推移・・・」綿密に調べ、時代によって事件事故の変遷を解明することは意義があると思います。ただそのことによって事件事故が減るとは、到底思えません。

*再発防止のための日米協力の余地はまだ多く残されていると考えますか?

→「再発防止の余地」?米軍が撤退すれば解決ですが、そのようなことは当面考えられません。従って再発防止の余地は、ほとんど無いと思われます。

*米軍関係者による事件・事故の発生は、特に基地周辺住民に大きな物理的・心理的負担を与えています。歴史認識の違いを議論する前提として、「沖縄賢人会議」において、米軍基地関連事件・事故の客観的な分析を行うことが必要であると思いますか?例えば、より効果的な再発防止策を講じていくためにも、沖縄戦終了後現在に至るまでの期間を幾つかに分けた上で、事件・事故の推移(発生件数、事件・事故の性格、再発防止策の有無とその後の効果、日米協力等々)を専門家にレビューして貰うという考えをどのように思いますか?
6.沖縄経済と米軍基地
*広大な米軍基地が存在するために戦後沖縄経済の発展は日本全体に比して立ち遅れてきたという見方ありますが、これを巡っては県内外の人たちの間で、大きな認識上の違いがあるとみられます。この問題については、先ず経済実態について知ることが重要であり、マクロ経済的視点を重視した更に幅広い分析と調査が必要であると思いますか?

→基地が経済発展の障害になってきていることは、実感として納得できます。解放された小禄金城、おもろまち、北谷のアメリカ村など大きく発展しています。那覇空港の一等地を占拠する陸海空自衛隊基地、米軍の那覇軍港(遊休化しているように見える)、浦添市のキャンプキンザー、普天間基地、キャンプフォスターなどが返還された場合、沖縄の発展のエンジンになるだろうことは、明らかです。 一方でキャンプハンセン(金武町)、嘉手納基地などが返還されたとしても、発展するかどうかは未知数です。従って取るべき道は、経済的に価値のある地域を早急に返還させ、そうでないところに基地を維持することが重要です。沖縄経済が外国人観光客の急激な増加もあり、アジアとの結びつきを強め、対本土との紐帯が、緩んできている状況も基地障害説をつよめる遠因となっています。那覇空港を使用せざるを得ない航空、海上自衛隊はそのままで良いとして、那覇市の真ん中にいる必要のない陸自を山原など過疎地に移転することを考えては如何でしょうか。このことを「賢人会議」が提案することを切に望みます。

*沖縄の米軍基地の存在と沖縄経済振興策との間にリンクがあるのかないのかを巡って大きな意見対立が見られます。この対立は不毛なものと思いますか、それとも、経済実態の論点を整理することによって建設的な議論が可能になると思いますか?

→「基地とのリンク論について」。基地と振興策がリンクしていることは、明らかです。政府の沖縄に対する気の使いよう、沖縄の政治家の政府への要求など見れば、リンク論は否定で行きません。ただ、政治的に「リンクしないということにしよう」というだけのことです。リンクしていると言われたくない相手に、リンクしているとあえて言うことは、気分を害することあえて言う勇気のあることではありますが、紳士のエチケットとしてどうでしょうか。

*現行の沖縄振興策は「沖縄21世紀ビジョン」を広く反映していますが、この中でどのように「基地経済」を位置づけしていくべきと考えますか?

→「基地経済の位置付け」。軍事基地は経済的付加価値を生みにくい体制ではないかと思います。基地は平時には守りを主体としていますから、静的であって、ダイナミックな経済の発展に寄与する度合いは小さいと言わざるを得ません。一方で動乱があった場合、基地経済は活況を呈します。ベトナム戦争時の沖縄の米軍基地周辺の華やかさは、今でも語り草です。日本の戦後復興に朝鮮特需が貢献したことは否定できません。しかし、現代の戦争は飛び道具が主体ですから、地域が全滅するかもしれない戦争はだれも望みません。基地は戦争を始められない抑止力としての位置付けが主体ならざるを得ませんから、経済の発展の余地が少ない山間へき地に閉じ込めることが重要かと思います。

7.沖縄の新潮流
*ソフトパワー重視による現行沖縄振興計画は、「沖縄21世紀ビジョン」を反映したものであり、「沖縄経済の将来」について県と政府間で基本的認識が共有できる環境が整備されてきたことは極めて重要性なことです。これは長年続いてきた「沖縄差別」を克服するきっかけになると思いますか?

→人口が少なく県土が狭小な沖縄の経済発展モデルは、どうあるべきか、喧々諤々の議論が続いてきました。台湾やシンガポールが先行したFTZの試み、ハブ港湾構想などがありましたが、いずれも成功したとは思えません。一方では、中央との距離がハンディとならないIT産業は、比較的順調に伸びています。ただ、課題として労働集約型で比較的賃金が安いというマイナス面は改善の余地があります。沖縄の産業として観光産業こそは、最も有望ではないかと思います。日本国家の人口の10倍もあるアジアに近い位置と、明媚な海浜、温暖な気候。結局「差別」という言葉は、自分だけが損しているという被害者意識が根底にあるものではないかと思います。日本47県のどん尻の県民所得が「差別」を立証していると感じる人もいると思います。では、下位に列している九州各県、東北各県、高知県などを凌駕する県民所得を得た場合、それでも差別と言い募る人がいるでしょうか。不効率な基地を押し付けて県民の経済発展を阻害していると言う、発言が出るでしょうか?この「差別」という問題は、経済問題ではないかと思います。せめて県民所得を全体の中程度まで押し上げる施策が求められています。賢明な指導者がいれば、アジアに近い地理的優位性が必ず生かされることであろうと期待したいと思います。

*上記の基本認識の共有は、政府と沖縄県が沖縄米軍基地負担軽減問題に取り組む上でどのような影響を与えると思いますか?

→基地負担の軽減とは何でしょうか?抽象的過ぎて良く理解できません。安全保障の環境が悪化している現状から、基地を無くすことは現実的ではありません。出来ないことをすることよりも、出来ることに取り組むことが重要ではないかと思います。県民所得を、せめて、中程度まで引き上げるにはどうすべきかを考えるべきではないかと思います。

*長年にわたって沖縄県民は「基地との共存、共生」という考え方を拒否してきた歴史があります。一方、沖縄の地域特性を発揮しながら、アジアの成長を取り込み、日本とアジア太平洋地域との交流と成長に貢献する地域拠点の形成が沖縄の大きな目標となった現在、米軍基地負担軽減措置の進展が前提とはなりますが、米軍基地の存在は沖縄県がアジアとの経済社会文化等広い分野での連携を強化していく上で、依然として大きな障害にはなると考えますか、或いは、米銀基地といった政治問題と経済等ソフトパワー分野の問題とは切り離して取り組むことが可能と考えますか?

→「基地との共存を拒否・・」。県民は基地との共存を「拒否してきた歴史があります」と断定していいのでしょうか。民主主義社会においては、「県民が・・・であると」断定することは、その地域の言論を愚弄し、一方的な自己主張を正当化するプロパガンダではないでしょうか。従って、基地の役割については、人によって考え方が違いますから、拙速に断定することは慎むべきではないかと思います。台湾、韓国にとって沖縄基地は安全保障の公共財と理解する人は多いことでしょう。

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